マンガと植物と盗み聞き

休みにしていることや考えたことを振り返りつつ紹介しています。マンガを読んだり,盗み聞きしたり、

暑中見舞いの返事の返事

仕事柄なのか未だに暑中見舞いを出す。送り先の住所を職場にしているので休み明けにはたくさんの返事が返ってきていた。夏の思い出の写真や夏前に会ったことに対する挨拶などなど元気にしている便りをもらえるのは嬉しい。

 

 

その中に最近では付き合いの深いYくんからの残暑見舞いもあった。おもしろい人物ではあるが多少度が過ぎるところもあり,しかしそこが人間味あふれる彼の魅力を引き立てる不思議な人物である。人はそんな人物を指して天才と呼ぶのかもしれない。

 

 

そんな彼は残暑見舞いにも思いをストレートにぶつけてきて,今を淋しい季節であると書いてきた。そして,人との触れ合いが足りてないと言う。

 

 

僕に何を求めているのかはわからないが淋しい時には淋しいという彼の気持ちがわかる気がする。それは人恋しいとか愛情が足りないとかそういう気持ちではなく,前向きにお盆休みからまた社会生活に戻り,活躍したいという現れである。そんな前向きな気持ちに触れた思いがして,僕も元気が出た。

 

 

最後に一言,なぜか「お返事お願いします。」の一言があった。今日はハガキを買いに行くところから一日のスタートを切った。

シャイニング

お題「最近見た映画」

 

 

シャイニングという映画を見ました。主人公が雪山にあるホテルの冬季閉鎖中の管理人となり家族と自分だけの世界に取り残され,霊的な存在に脅かされおかしくなっていくという話。

 

 

 

古い映画で演出に時代を感じたけど怖かったです。なぜかというと怖いかというと霊的な存在と人間の狂気がダブルで襲って来るからです。物語の冒頭,主人公は雪山の冬季閉鎖中のホテルを管理の仕事の面接を受けます。そこで,前の管理人は家族を斧で襲ったというとんでもない事実が語られるのですが,この時点では主人公は涼しい顔。しかし,実際に住んでみると何も刺激のない生活に精神を病んできます。いつしかいないはずのバーの店員や前任の管理が見えるようになりそちら側の世界へと誘われていきます。そして,最後には連れてきた家族を始末するということになっていきます。

 

 

 

刺激がないということはこれほどまで人間をダメにするかと思いました。僕もどちらかというと他動的なところが多いので刺激がないのは辛いです。何も刺激がないと自分であれやこれや考えてしまい考えがあらぬ方向へといってしまうこともしばしばあります。それくらい人にとって外部環境との交流は大切です。そういうのがなきゃ人は滅入っていく。

 

 

 

 

そう考えると職場での人間関係くらいしか持たない自分は大丈夫なのかと思います。もっと広く友達と交流した方がいい。そう思える作品でした。

早めに帰ってるのに家に帰ると何もしたくなくなるからの脱却

近頃は働き方改革もあって仕事を早めに切り上げて帰宅しています。いつもより余力もあるし,少し勉強とかしたいなとか思って職場の門をくぐるのだけど,家に帰るとたちまち疲れてしまって動けない。挙句,ダラダラと過ごして次の日を迎える。そんなもったいない日々を過ごし後悔を重ねています。

 

 

 

 

 

まー,疲れてるし仕方ないかなー。なんて思ってたのですが,今日職場の先輩と研修でたまたま一緒になって先輩も同じようなことで困っているというので驚き。そんな感じ全くしないのに。みんなそんなものなのかなーと思いつつ,そこを脱却したくその方法を先輩と考えてみたというお話。

 

 

先輩と考えた脱却の方法は3つある。

①スキルとしてトレーニングする。

②ショック療法的に無理矢理がんばる。

③具体的な行動計画を策定する。

 

 

 

 

①について

我々はまず,家に帰ってから何もしたくなくなってしまうのは我々の性格や意思の弱さのせいではないということにしました。なぜなら性格や意思の弱さを改善することは容易ではないと考えたからです。あと疲れているからというのも改善の余地がなさそうなので原因から除外して考えてみました。

では,ほかにどんな要素があるのか。それがスキルです。この場合は家に帰ってから身支度を整える活動するまでの一連の行動をスムーズにすることをスキルとします。意思などとは関係なく一連の流れを自動的に行うことができればたとえ,疲れていても,意思が弱くても大丈夫と考えました。そこでスキルとして家に帰ってからの動作を身につけるために,必要な動作を言語化する→元気な時に実際にその動きをやってみる→実際にやってみてできたかどうかをフィードバックとして振り返るという流れを策定しました。

具体的には家に帰る→服を着替えてリラックスする→食事→シャワー→歯磨き→深呼吸と軽いストレッチ→お目当ての活動を30分行う→明日の支度→自由な時間という計画を立てました。これを実際に練習。流れを把握した上で同じようになぞろうというわけです。なんかいけそう。

 

 

 

 

②について

二つ目はショック療法。例えば,家に帰ってまずやりたい活動を行う。能率が悪くても具合が悪くても続けます。そして身体が慣れるまで続ける。なんだ意外と負担なくない?ってなったらしめたもの。そしたら,今まで無理だと思っていたことからかなりハードルが下がる。そしたら,その先も続くんじゃない?っていうアイデア。なんか書いてて今思うと難しい気もするけど。

 

 

 

 

 

③について

①の家に帰る→服を着替えてリラックスする→食事→シャワー→歯磨き→深呼吸と軽いストレッチ→お目当ての活動を30分行う→明日の支度→自由な時間という計画をベースにさらに詳しくどうするか考えてみたり,逆にお目当ての活動に焦点をあてて,その活動をより具体的に何をするか考えるということもありかなと思いました。

 

 

 

 

 

実際にできるのかはわかりませんが,今日は①を元にロールプレイをしてブログを書いてみました。活動できたー。まー初日なのでできるのかな。でも,この積み重ねな気もする。日々,今日はこうする!って考えて細かい動きをどこまで解像度高く想像できかが鍵かなんて思います。

 

 

 

 

時候の挨拶 1月中旬

 身をちぢこませるような寒さが我々にとっては厳しいものとなっておりますが,「水泉動ーしみずあたたかをふくむ」とも言われ地中では陽気が生じ目には見えずとも春に向かっていることを暦から感じ取ることができます。とはいえ,相変わらずの寒さですがいかがお過ごしでしょうか。

 

寒さが,厳しいこの季節。週末は東京でも雪に見舞われましたね。外の水たまりが凍ったり,霜柱が立ったりと散歩をしても寒が目に見えてとても面白いです。しかしながら,「水泉動しみずあたたかをふくむ」とあるように,自然界では春に向かう歩みがスタートしているようです,全然わかりませんが。

 

 さて,これが大体14日までの挨拶,週明けからはこんな感じでいきたいと思います。

 

 相変わらずの寒さに,冬の厳しさを感じます。「雉始雊ーきじはじめてなく」頃とも言われ,オスがメスを求めて泣き始める雉にとっての求愛の頃だとも言われるそうです。バレンタインデーを先取りしたような気もしますが,1月もあっという間に半ばを過ぎ時間の流れを感じとともに,「ボーッと生きる」ことのないよう日々を大切にしたいものです。

 

雉が求愛を始めるんですね。雉始雊(きじはじめてなく)が1月15日くらいからなのでちょうどではないのですが日本のバレンタインデーを思わせます。オスからメスなので少しずれる気もしますが。今年は,というか去年の夏ころから,仕事で週一回出すお便りの冒頭文を二十四節気七十二候になぞらえて書いています。最近は「丁寧な暮らし」とか,「里山とともに生きる」とか,「歳時記」とか,そういうのが好きなお客さんが多いので。暇つぶしに仕事を減らせるように個人的に書いているだけのものです。

時候の挨拶 1月上旬

新年もあっという間に7日が過ぎ,七草粥の季節となりました。七草粥で胃腸を整え,いよいよ仕事に向き合う頃,いかがお過ごしでしょうか。

 

1月上旬は二十四節気七十二侯でいくと,小寒,芹乃栄-せりすなわちさかえる。芹といえば春の七草。「せり,なずな,ごぎょう,はこべら,ほとけのざ,すずな,すずしろこれや七草」とおばちゃんから教わったものです。そんなことを思い浮かべつつ,寝過ごした正月休みを惜しみつつそんな時候の挨拶を考えました。また,毎週これを考える日々が始まるとなると面倒だなと思いつつ…今日は休みでした!

毎年去年の今頃は,こうなることを予想していなかったの連続

たまに一年前の自分は今の状態を予期していたかと振り返ることがある。今日は一人での車移動が長かったのでそんな振り返りをしていた。

 

 

結婚することになった。これが一番の変化だろう。それだけでも去年より数倍幸せである。お金のこととか転勤ののととか不確定要素が多いから心配な面もある。けれども仕事がなくなるわけではない。蓄えも多少はある。だから大丈夫。仕事が楽しい。やりたいことができる。これもいい変化である。打てば響くことばかりである。これも嬉しい。

変わったことの多くはいい変化だ。悪い変化は今の所ない。結婚を気に多少は親孝行的なこともできたし人間関係の面でもよくなっていることが多い。いい変化は少ないけれど大きいものばかりだ。

 

 

逆に悪いことは変わらないこと。

これは仕事をし出してからずっとそうなのだけれど何のために働いているのか,生きているのかよくわからない。学生時代は就職して安心したいとか経済的に安定したいことが念頭にあった。けれど自分なりにそれを達成すると次はどこへ向かえばいいのかよくわからなくなっていた。最初の数年は幸運にも周囲が世のため人のために頑張っていたのでその雰囲気にいい意味で飲み込まれて一生懸命頑張れた。少しは成果も出た。問題はその後だ。やる気のない環境下に身を置いて気づいてしまった。「あ,自分本来やる気をもってがんばるタイプじゃなかったわ。」そういうこと。

がんばりたくない。もちろん,直ちにがんばることをやめるわけではない。むしろがんばる。がんばらないとそのツケをあとで払わされるから。がんばり方はなんとなくわかるし,そこまで苦ではないから。けれどなんのためなんだろう。指導的立場になるため,大学で教えるため,海外で働くため,そうなったら幸せなのだろうか。きっと楽しいのだろう。でも幸せなのだろうか。ずっとそう思いながらもがんばるのだろうな。最近は今まで一番働くのが楽しい。

 

 

いずれにしても去年の今頃,こうなっていることを予想してはいなかった。毎年そうだ。毎年毎年意外な結末の連続だ。それだけ毎日毎日何かしらを積み上げているのだろう。正にせよ,負にせよ。来年の今頃はどうなっているのだろうか。少しでも目標が達成できているといいな。

雨の日は会えない,晴れた日は君を想うを見て

休暇に入ってマンガや映画を見る余裕ができてきました。今週は映画を3本。マンガを3本。映画はどれも興味深かった。登場人物の生き方在り方が丁寧に描かれていて,また人物を取り巻く場も丁寧に美しく描かれていました。マンガもそれなりに面白かった。

 

その中の一つ。「雨の日は会えない,晴れた日は君を想う」について。

奥さんに交通事故で先立たれた主人公が錯乱状態に陥り,社会的転落するも奥さんへの愛を追認していく話。

 

この映画のほとんどは主人公の錯乱ぶりを描いている。この描写がたまらない。始めに自動販売機の業者に自分語りをふんだんに盛り込んだクレームの手紙を出す。これをきっかけにから,この文通で新たな人間関係を育み,奥さんの死を乗り越えて行くのかなと思いきや不倫まがいのことをしたり,不倫(まがい)相手の息子の反社会的行動に加担したり,色々な物を壊したりと破滅の一途をたどっていく。

 

そんなことまでしてるのにで主人公の認識は奥さんのことを愛していなかった,奥さんの両親が気に入らないというもの。しかし,愛してなかったら,そこまで精神的に参ることはないだろう。心の表層では愛していないと認識していても物語の終盤では主人公も自分と奥さんの関係がかけがえのないものであったことに気付く。愛ってなかなか捉えづらいもの,扱いづらいものなんだなーと思った。なぜだろうと思う。主人公にも奥さんへの愛があったとして,常に愛情を表出させていることができれば幸せだったろうし,奥さんを失った悲しみが不倫や破壊という歪んだ形で表出されることもないように感じた。でもそうじゃなかった。出会い方がよくなかったから?日々の暮らしですれ違っていたから?奥さんの両親と折り合いが悪かったから?色々なことが積もり積もってあの形で愛情の裏返しとも言える行動に主人公は出たのだと思うよ。

 

物語の中で主人公に起きたことの原因は奥さん死ではなく,なんとなくズレた日常の積み重ねなのだと思った。製作者にそんな意図は無いと思うけど。

 

 

物語,人物の描き方が丁寧な映画が好きだ。この作品はここまで書いてきた物語の中で主人公に起きた出来事だけでなくその背景ある暮らしをも想像させるところが素晴らしい。